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太宰が逗留した桔梗の間

大宰 治はこの玉川旅館の「桔梗の間」に二十日間 居続けて小説を書いた。
その作品は『ダス・ゲマイネ』で1935年(昭和10年)10月号の『文藝春秋』に初めて掲載された。
この作品の執筆の背景は、ウキペディアで下記の様に掲載されている:

「太宰治は1935年(昭和10年)上半期の第一回芥川賞に『逆行』という作品で応募して最終候補まで残ったが、結果的に石川達三の『蒼氓』が記念すべき第一回芥川賞受賞作品に選ばれたため敢え無く落選となる。この時、第一回芥川賞の最終候補に残った太宰治、高見順、外村繁、衣巻省三らが文藝春秋から依頼を受け、競作という形で執筆されたのが『ダス・ゲマイネ』である。

題名になっている「ダス・ゲマイネ」の由来

ドイツ語で「通俗性」や「卑俗性」といった意味がある「Das Gemeine」に由来し、太宰治のエッセイ『もの思う葦』で「いまより、まる二年ほどまえ、ケエベル先生の「シルレル論」を読み、否、読まされ、シルレルはその作品に於いて、人の性よりしてダス・ゲマイネ(卑俗)を駆逐し、ウール・シュタンド(本然の状態)に帰らせた。」と書いており、「「ダス・ゲマイネ」「ダス・ゲマイネ」この想念のかなしさが、私の頭の一隅にこびりついて離れなかった。」と、『シルレル論』に記述があった「ダス・ゲマイネ」からタイトルをつけたとされる 。

「ダス・ゲマイネ」の筋書き

周りの友人たちから「佐野次郎左衛門」または「佐野次郎(さの・じろ)」というあだ名で呼ばれる25歳の大学生が主人公。佐野次郎が初恋を経験したと話す場面から始まり、上野公園内の甘酒屋で知り合った個性的な東京音楽学校の学生・馬場数馬(ばば・かずま)や、馬場の親類で画家の佐竹六郎(さたけ・ろくろう)、そして新人作家の太宰治(だざい・おさむ)の4人と共に『海賊』といった雑誌を作ろうとするも、馬場数馬と太宰治の仲違いから白紙に戻り、最終的に主人公の佐野次郎が電車に轢かれて死亡してしまうという内容である。なお主人公を佐野次郎と呼び始めたのは馬場数馬と作中で語られている。
作中で作者の太宰治自身が新人作家として登場する珍しい作品となっている。 �